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意味深な9月6日。 皇統を守った男、「和気清麻呂」について。

 本日、秋篠宮妃紀子様が今朝8時過ぎ頃、親王殿下をご出産されました。心よりお祝い申し上げます。

 早速今朝のニュースでは、皇室典範の問題を取り上げていますが男子、女子のどちらがお生まれになっても、今日はおめでたい日ですのであえて書くのを控えて、別の話題を。

 しかしなんと意味深な日に親王殿下がお生まれになったのでしょう。770年9月6日は「和気清麻呂(わけのきよまろ)が名誉回復した日」なのです。和気清麻呂とは“皇統を守った男”なのです! 
 簡単に説明しますとね。むかしむかし、病気がちだった孝謙天皇(こうけんてんのう:女帝です)の病気を治した男、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)という僧がいましてね、まぁいろいろと伝説のある坊さんです。孝謙天皇はずっと独身でして道鏡に惚れるんです、この道鏡が孝謙天皇に気に入られているおかげで政治に介入できるようになるんだけど、調子に乗って今度は自分が天皇になろうとするんです。
 そしてある日、大分県の宇佐八幡宮から「道鏡を天皇にしろ」というお告げがあったと連絡が入るんです、まぁ道鏡が手を回したのですが・・・。孝謙天皇は子供はいませんので自分の彼氏が天皇になれると大喜びなんですが、これは物凄く大変なこと、天皇家以外の人間が天皇になったら前代未聞ですからね。
 そこで769年に和気清麻呂という人(今でいう高級官僚)が、そのお告げを調べに宇佐八幡宮に派遣されます。孝謙天皇も道鏡もお告げの結果は決まっているので安心して報告を待っていたのですがこの清麻呂、やってくれました、「お告げの結果を言います、天皇家以外の人間が天皇になれるわけねーよ」と。孝謙天皇はぶち切れて、「お前が勝手に言ったんだろーー!」と清麻呂を左遷、そして清麻呂という名前を「キタナマロ」(もちろん汚いの意味でキタナね)という名前に変えてしまった。
 まぁその後、孝謙天皇が亡くなると道鏡なんてただの坊主ですので追放、そして770年9月6日に清麻呂は名誉回復して都へ戻ってくるんです。

 そういえば神主さんの著書で面白いことが書いてありました。清麻呂が宇佐八幡宮に行った時ですがお告げのあった巫女はやっぱり「道鏡を天皇にしなさい」と言ったのです、その後に清麻呂がすかさず腰の刀を抜いて巫女の喉下にバチッと突き立て「おまえ、本当のこと言えよ」と言ったら巫女は「・・・・嘘です」と。そういう話が神主の間で口頭で語り継がれてるらしいです。

 ※孝謙天皇は一回天皇を辞めて、次の淳仁天皇の後にもう一度天皇になりました、二回目の名前は称徳天皇(しょうとくてんのう)です。病気がちで道鏡と知り合ったのは孝謙時、宇佐八幡宮は称徳時です。二つ名前を書くとややこしいから孝謙で統一しました。